転落事故と生かされた命

夫との別居がスタートした直後、私は友人と息子と3人でのハイキング中に高い場所から転落するという事故を経験します。

足を滑らせて転落し、仰向けに倒れた私を見た息子は「母の死」を一瞬覚悟したと後に話してくれました。転落し倒れた私の顔は、朝日を浴びて真っ白にみえたのだそうです。いまだに転落事故前後の記憶が、私にはありません。どのくらい気を失っていたかも覚えていません。

気づいた時には友人と息子が心配そうに覗き込む顔が見え、左後頭部の鈍い痛みと左腰の打撲の痛みを感じました。自分の身に何が起こったのか全くわかりませんでした。痛みはあちこちあったけれど自分の足で歩くこともできました。

友人や息子を心配させまいと「大丈夫大丈夫」と言っていた気がします。救急車に乗り込む時も「いざとなったら介護保険入っているから大丈夫」と話した記憶があります。一方で「意外と人間は簡単に死なないものだな。この瞬間死んでたら楽だったかな」という気持ちもありました。

病院で検査を受け脳や脊髄や神経系に深刻な損傷がないということがわかり、その日のうちに帰宅できたのは不幸中の幸い、奇跡でした。落ちた高さを考えると「腰椎の亀裂骨折、3週間安静」は軽傷だったと言えるでしょう。ずっと付き添っていた息子が何度も何度も「ママ、生きていてくれてありがとう」と言って頭を撫でてくれました。

後に息子と事故当時の話をした時にもしもあの時私が死んでいたら息子は「僕が助けられなかった」と長い間自責の念にかられるだろうと気づきました。死んだら楽だったかなと一瞬でも思ったことを、息子に申し訳なく思いました。

転落事故後、3週間の安静期間息子が家のことを全てやってくれました。そして夫が見舞いに来ることは一度もありませんでした。後から息子が私の精神状態を考慮し「来ないでほしい」と伝えていたことが分かりましたが、私の中で「離婚」の意思が固まった瞬間でもありました。

自分を大切に扱うからこそ、周りの人のことも大切にできると思います。30年近くそばにいて、気持ちが分かち合えない相手、傷ついた時に思いやりを持った行動ができない相手とこれ以上一緒にいることはできないと思いました。自分をもっと大切にしようと心に誓いました。 九死に一生を得て、今、生かされている命私の使命はなんだろうということを、この頃から考えるようになります。

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